2015年8月30日日曜日

日記

(1)
一日だいたい家の中で過ごす。
朝、窓を開けて風を通しているのが、今日は家が寒く感じる程だった。
明日は朝から晴れるそうなので洗濯をしよう。

大体は野球を観ながら検定のテキストを開いていた。実践的な4章で覚えることが多過ぎて心が折れかけるも、次章が面白かったので、持ち直す。試験は11月でテキストは折り返し地点、時間はまだたくさんある。
ほかのイベントとしては、なくなったと思い込んでいたごま油を調理する時に見つけたり、明るい満月に照らされた青い夜空の下、狐に出会うなど。
狐は寄生虫の恐れのため触れないので、お互いびくびくしながら距離を取っていた。 猫より一回り大きい。夜目は効くのだろうか。

(2)
日々の情報量がこなせる範囲にあるありがたさを感じている。
淡々としていることに安心する。
他人から見たらどう思うかわからないが、他人の目に適う為だけに自分を奮い立たせていくのは本末転倒と思う。
好きな場所や好ましいリズムを大切にして生きることの価値は疑いない。
類似の価値観を持つところや妥協点を探していく。

2015年8月29日土曜日

日記













 

(1)
自宅から30分ほど歩いて、「畑総都地区」にでかけた。
気に入っている場所。
以前このあたりでヒバリやノビタキを見た記憶があり、鳥に出会えるのを期待していた。
しかし今日はハシボソガラスとスズメの群れに遭遇して終わる。
路上にうずまっている鳥を何羽かみかけたところは、逃げられてしまい判別出来ず。

人も少ない広いところまで来ると、気持ちいい。写真も気兼ねなく撮れる。
一面に広がるトウモロコシなどの畑を眺めていると、イメージ通りの北海道ここにありという感じ。
ちょっと開放的な気分になる。
そして、車に乗りたくなるなあ。
思うまま遠くまで行ってのんびりしたい。

少しずつもみじやいちょうが色づき始め、北海道は秋の支度が順調な様子。
そろそろ近隣からバーベキューの匂いもしなくなるのかな。

2015年8月27日木曜日

日記

 

(1)
雇用保険の移管処理ならびに国民年金の免除申請を終わらせた。
帰りに駅前の書店に寄って、検定のテキストを購入。さして広くはない駅前立地の店ではあるにもかかわらず、実用書もちゃんと見ている姿勢が頼もしい。
書籍も文具も置ける限り幅広い種類を置いている。札幌の大型書店まで片道40分800円程の地域においては現状随一のお店で、助かっている。
前職の同店担当の方を思い出す。今もやっぱり良い仕事している棚だった。

歩いているとき、走っているとき、ぼんやりといろいろなことが思い浮かぶ。
今あるのは、この先もずっと北海道に住み、拠点にするんだなという実感だ。
書籍関連の未練があり飛び出してしまった前科があるけど、それはもう、気持ちとしてもない。
これも年齢が作ってくれる道のひとつだろう。
すこしずつ問題が解け始めている、ような気持ちになっている。

2015年8月25日火曜日

日記





 

(1)
青葉公園まで歩く。
行き3.5km、帰り2.5km 青葉公園内一周で3.5km
ちょっと歩き疲れたなあ。
ジョギングでもと思っていたところだったが、足首の調子がいまいち。

図書館を出てすぐの公園入り口付近に2匹のエゾリスを発見。
エゾリスは、本州に住むタイワンリスと比べてずいぶん背が高くて見つけやすい。少し背の高い草が生い茂る地面を歩いているとき、シルエットが、ちょろっとばれてしまうのである。
やっぱりかわいい!
撮影的には古い解放F5.6の望遠レンズ、ISO800で1.3段マイナス、やっとシャッタースピード1/60。現像するとコントラスト弱くノイズが残っている。
今はISO12800?まで上げて綺麗に撮れるカメラがあるらしいですね。フィルム時代には考えられない。
自然撮影用のカメラが欲しい。いいものが欲しい。
パソコン本体との付き合いも、かれこれ9年目である。僕にしては物持ちが良い方で嬉しいこと。しかしながらさすがに取り残され感あって気がかり。

ほかには主にゴジュウカラとシジュウカラ。彼らの澄んだ声が森を明るくしていた。
ヒヨドリ。 ハシボソガラスの10羽ほどの群れ。ベンチに巣材のような枝を落としてしまい慌てていた。そのあとすましてそれぞれパトロール。

図書館で本を色々借りて帰る。配色の本等。
東洋文庫のコーナーがあり、イザベラ・バードをまた一冊 、楽しみ。

2015年8月24日月曜日

日記



 

(1)
近所の郵便局に転居届けを出しにいく。
受付の女の子まだ若く、笑顔が眩しい。先日は市役所にも20代の人たちの顔ぶれが見えた。千歳にもちゃんと若い人が働いているみたいだ。

道中、ここ数日の中では強い日差しにあたりながら、風は優しく、熱を取り払ってくれる。
夏の終わり頃はこんなにも心地よい。
住宅街を出歩く人の姿は少なく、音のしない、広い道を一歩ずつ歩く。
静かとしか言いようのない時間が、のんびりと過ぎていく。
自分のリズムも治まってくれる。安心している。

昼に手作りの水ようかんをいただく。美味しい。

(2)
北海道に戻ってまだ一週間経っていないんだ、と口にしていた。もうなにか始めようと思えたことに気付く。
だけどせっかくなので、一週間休みますね。
世間様には大変申し訳ありませんが、明日までは夏期休暇ということにしました。
準備はぼちぼち。

2015年8月23日日曜日

呟き

 

まだ心にひっかかったものがある。
人生楽しく生きるのが怖いみたいだ。
遠慮不安自信のなさ価値観のゆらぎが襲いかかってきて重たくなってしまう時間がある。
それを断ち切ることができるのは、自分次第と思う。
そう思うと、それはそれでじわじわと押しつぶされそうになる。
こうした休むに似たりな考えは、ある意味、自傷行為じゃないかと思うことが多くなった。
どこかでやめなければしょうがない。
社会的に大人になっていて、子どもも持てる歳だ。
ぐずぐずしたくない。

また、したくない仕事を始めて現実から逃げてしまうかもしれない。
仕事は大切な時間つぶしだ。つまらないことだけはしたくない。
みんなと同じになる誘惑は避けて、我慢からはじめないこと。
もうしょうがないじゃないか。

2015年8月20日木曜日

日記


昨日、埼玉から北海道に帰ってきました。
涼しいです。はや秋口という感じで長袖を着ています。
疲れたな。まるまるからっぽで、身体だけを移してきたという感じ。
不安もありますが、どうあれ、 前向きに生きていくしかありません。
目的もなく、人が苦手になり、笑っていいかもわからなくなってしまった日々から離れていきたい。

少しだるいぐらいの状態で進めたらよいのか、また気力を漲らせて頑張るしかないのか。
私自身が受入れてもらえる、という感覚があれば、こんな自分の心の持ちようなんてことに苦労はしないのかな。
自分がどう暮らしたいのかを優先して、力を付ける道を間違えないようにしたい。

知人から明るいニュースを知らせてもらえることが増えたから、余計自分の境遇と過去に苛立つんだろうな。
悪くはなっていないと言い聞かせる状態。
自然体で生きて行けるようになりたい。

暗いエントリになってしまったけど、これからまた新たに人に会って、希望を蓄えて、生き続けていけるようにしたいと思っています。
向こうで出来た友人ともまた会えたらいいな。

2015年8月17日月曜日

日記

(1)
ふらっと中目黒へ。先日心残りとした古本屋を観に行く。
日差しは強かったものの、木陰と日陰が重なる目黒川沿いは、歩いていて少しすずしさも感じるくらい。
おしゃれなレストランがたくさん、ランチは思ったより手の届く値段のよう。ちょっと羨みながら通り抜ける。
道ゆくのは綺麗で清潔感あふれる恰好している人ばかり。僕なんかは精一杯飾っても街並に対して申し訳ないくらい。けれど、この街はどこか余裕のような落ち着きを感じて居心地はよかった。

さて、店の佇まいはコンパクトで清潔。
多くの本にビニールカバーがされ、整然と陳列されている様子が印象的。ジャンル区分は示されず「流れ」で把握する。
いくつかこだわりのある作家の本は複数在庫してある。時流やお客さんのニーズへの対応とは異なる独自路線。
洒落た趣味の良い友人の書斎に入らせてもらったという感じ。いつもの書店の棚作りとは「宛先」が違うように見える。
一種のショールームを眺めてきたのかもしれない。

(2)
お酒。部屋で一息ついていたら、宅飲みのお誘い。
中学生が揚げたポテトチップス。じゃがいもは極薄切りで綺麗な仕上がり、カリカリの食感が紛れもなくポテトチップス。売り物になりそう。ビールが進む。
ゴーヤの甘辛煮。塩水で茹で、甘めの砂糖醤油で味付け、ごま油をたらしたものとのこと。甘辛苦いというのは初体験だったけれど、これははまりそう。作ってみたい。
あれこれ話しているうちに、ちょっと不安に沈みそうだった心が元気になった。
仕事がないときにもこういう機会があることに、じんわりと嬉しくなる。 良い方々と出会えたものだ。

(3)
パソコンを送るので、今の部屋からの更新はこれが最後になる。
午前中に引き取りに着てくれる筈なので梱包をはじめよう。

いま、携帯のバッテリーが駄目になってしまったらしく挙動が安定しないので、なるべく外ではいじらないようにしている。ブログも携帯から書くつもりはない。
少しの間ネットから離れるか、部屋にいる時間が長くなるのか・・・。
北海道に帰るまではあとわずか。
ゴミ出し、掃除、しっかり終わらせて、気持ちよくこの部屋とお別れをしよう。

2015年8月15日土曜日

写真


2007年に撮ったモノクロの銀塩写真から。
スキャンしてHDDに残していた当時のスナップの断片たちを遡り、自分が写真だと思ってやっていたことの性質を振り返ってみた。
僕の写真の撮り方は、何かを見せたい、伝えたいという意志によって技術を使うというより、カメラで視界と感情をなぞっていたという言い方が正しいように思う。
憧れた森山大道や中平卓馬、佐内正史、川内倫子のようなものを撮りたいなと思っていた。
数年間、大学構内でもまちなかでもコンパクトカメラを持ち歩き撮り、失笑を買う程はまりこんでいた。
けれど彼らの作品からは滲む「テーマ」が自作には定まらず、写真学生という猶予の時間を終えてしまった。
グループ展は参加したけれど個展を開かなかった、というのは、発表するテーマなり理由が見つからなかったからだと思っている。

悲しい感情が原動力となってしまった時に、素直に認めれば良かったのだ。
大したものというより、そこにあるもの、立っていた場所、そこに居てくれた人、そこに居た私、のことが写っていれば、それ以上は必要なかったのだ。
センチメンタルな言い方をすると、ただそこにいることが、OKなんだと思いたかった。
大学後半は消費社会論などに触れた影響で、アートとしてテーマある作品に向けて勉強したり作ったりしたけれど、その人たちの世界に踏み出すことはなかった。 随分身勝手な批判をして、弱かったんだなあという時期でもある。

今はやはり、趣味というしかないものだ。
帰省の折に作った組写真が、情感が籠っていて、素直によさを感じる。もっと人を真正面から撮っておきたかったとか欲もでるけども。



自分の銀塩写真を見る時、カメラのシャッタースピードを感覚することがある。
「一秒より速い」 ことを感じるのだ。具体的には大体が1/30〜1/500くらいのはず。
なんの変哲のないスナップ写真だからだろうか。
スマートフォンやデジカメで写真を撮る時は、ぶれてしまうので、ポーズをとってもらうし、画像を確認してもらうので、変な瞬間は残らない。
作りのない、自分の動かした機械の為だけに残った写真であることが、一因なのかもしれない。

たまに、またフィルムで撮って暗室で、黒めのプリントを焼きたいなと思ったりする。
美しいプリントを観たい。
実は美しい写真の官能を知っている人は、そんなに多くはないんだと、写真の世界を離れてから気付いた。
いつでも、ないものは作る、ということだろうな。
思い出を美しく形にする機会を持ちつづけたい。

2015年8月14日金曜日

日記

(1)
冷蔵庫の中身を出して清掃。霜がこびりついていた冷凍室も無事綺麗になって安心した。
初めて使った「ウタマロクリーナー」 が、うたい文句通り万能の優れもの。これ一本で何にでも使えるようなので、次はこの洗剤を常備しておこう。

冷蔵庫・洗濯機買い取りの際にガスコンロも引き取って貰うことになった。
一箱送るのにも結構お金がかかるもので、無理しないで処分したほうがいいものもある。梱包失敗してたら使うとき不安だしなあ。

(2)
「プリンシプルのない日本」(白州次郎、新潮社)読書中。
吉田茂内閣を陰で支えた人物。戦後間もない日本の様子や交遊ある政治家の批評と、今後の国への提言など、文藝春秋に掲載されたものを中心に採録。
自身や友人たちの立場に囚われず 、はっきりと自分の意見を発言することがとても印象的。
著者が今の政治の動きを見たら、どんな言葉を投げかけるのか聞いてみたい。
70年経って、「電飾で飾られた、根のないクリスマスツリー」ではなく本物の経済成長ができたのか、人々は本物の民主主義国家を作ることが出来たのだろうか。

(3)
お盆休みで就職活動も一息ついている状態。
このタイミングに引っ越し作業が出来たのはよかった。
しかし、もちろん問題が解決したわけではない。
これからどう生きていこうか、ごまかしてはいけない。社会のレールにちゃんと乗ること。
だけど何よりも、僕自身の能力や信条の如何に関わらず、幸せに生きてよいと、許すことが一番最初に必要なことだ。
遠くないいつか、僕にとっての幸せというものを、感じたままに伝えられますように。

2015年8月13日木曜日

日記

(1)
ブログのタイトルをそろそろと変えました。
「ひにひ にひにひ」宜しくお願いします。

(2)
荷物を送る。
集荷に来てもらったはいいけど、嫌な顔と適当な対応をされるのは本当に気分が悪い。
何もあなたに嫌がらせする為にエレベーター無しの4階に住んでいるわけじゃないのになあ。
炎天下の中お疲れなのはわかるけど、あと遅れるなら連絡くらい入れて欲しかったし、言いたいことがむくむくと沸いてしまう。
僕もこういう時に黙っていて、舐められ慣れしすぎているのは良くないと思う。こういうことがたびたびありげんなりする。

荷物を持っていってもらって空いた廊下を掃除した。
明後日燃えるごみを全部出してからが本番。
少し寂しい気持ちになる。もう特にすることもない。誰かを邪魔することもないから、このまま静かに出て行くだけ。

(3)
外食生活がはじまっている。
朝昼は併せてJRの駅蕎麦のミニカツ丼セット630円。ここの蕎麦はあっさりしていて好き。
晩ご飯の牛丼は一食380円。もうそんなにコストパフォーマンスがいいとは言えないなあと、部屋に持ち帰ってもそもそとつつきながら、ちょっと損した気分になったり。
ああ、美味しいものを食べにいきたいなあ。 近所の「北海道ラーメン」ひさびさに行こうかな。
カフェシバケンのランチとか、美味しかったなあ。むむ。

(4)
やり残したことはない、と思っていたけどひとつだけ、訪れてみたかったところがある。
 中目黒の「COW BOOKS」最後に一度行ってみようかな。

2015年8月12日水曜日

二日分の日記

(1)
串田孫一「若き日の山」(集英社)読了。
後半の「笛」が、著者には珍しく親族(創作?)との親子関係で心が動いたことが綴られていて新鮮だった。
同じ分野で親が子に超えられる予感というもの、僕の親は感じたことがないかもしれない。

益田ミリ「結婚しなくていいですか。すーちゃんの明日」(幻冬舎)も読了。
自分もこのままあと5年ちょっと経つと似た状況になる。(すーちゃんは貯金200万円あるんだよな・・・。)
主人公たちは女性、ほとんどモノローグで進む。それぞれ事情があるとしていたり、老後の悩みや性のことにこだわったり、ぼんやりとこれでいいのかと思いながらも、それぞれの性格で考え続けて独身生活を送っている様が、そのまままんがになっている。
最近、結婚するとかしないとか、今の僕が語れることはないと気づいたので、ひとまず何も考えず脇においておく。

それにしても、ブックオフの100円文庫にはお世話になっているなあ。

(2)
送るべき細かいものを梱包し終わった。
残りは捨てる。
金銭も目処がついたので、今日から外食生活に入ろうと思う。使わなくなるガスコンロを綺麗に磨いておいた。業者にガスを止めてもらってから取り外して、送ろう。シーリングライトも勿体無いので捨てずに送る。
結局二回目の荷物が出来ることになった。パソコンもその時にしようかな。ぎりぎりまで何か書いていたい。

(3)
燃料用アルコールを使い終わるため、久し振りにベランダでアルコールストーブクッキング。
500mlのお湯を沸かし、もち二個+即席みそ汁2杯分を投入し煮立てる。
味は想像通り。みそ汁より、あっさりとしたスープの方がおいしいかも。
もちが大き過ぎてくっついてしまった。野外でやる場合は、予め適当な大きさに切っておこう。

(4)
お酒。折角なのでと、居酒屋にあった八丈島ゆかりのおいしいものばかり頂いてきた。
島唐辛子とお刺身。八丈島にはわさびがなかったので醤油に唐辛子を箸で潰した辛みで刺身を食べるそうな。
ちょっと後から舌がぴりっとする。醤油の味を消さないので、ちょっと濃い味で食べているように感じる。
わさびとはまた違った辛みと刺身の味。
漬けの寿司。もちろん美味しい。
人生初くさや。思ったよりは、アレな香りせず美味しかった。魚の臓物を発酵させた液に浸けているそう。
アシタバの天ぷら。さくさく。お腹いっぱい。

気張らずにいきましょうと、とても嬉しい夜だった。

2015年8月10日月曜日

日記



(1)
時間をつぶす。
串田孫一「若き日の山」読み進める。ロマンチストでさみしがりやな人。
文章の中身はそんなに入り込めないのだけど、なにか似た気分を味わっているので、めくりたくなるのかもしれない。
今もさみしがりやな僕は、隣に気遣いのいらない誰かがいるみたいで、すこし落ち着いた気持ちになる。

(2)
近隣のサービスセンターへ自転車を漕ぎ、ヤマト伝票追加分を頂戴して来る。
ガスコンロを北海道まで送りたいと相談すると、受付の方が親切な応対をしてくれた。
プチプチひと巻きを貰ってしまった。段ボール買うより、これで包んでスーパーで貰った段ボールの形を合わせたほうがいいと。
なんとかなりそうな気がしてきた。

荷物は分けて送ろうかと考えていたけど、ふと思い立つ。
週末一息に送ってしまい、受け取りを僕が帰ってから行えるようにするのが一番迷惑かからなくてよいのではないか。
ひとまず、その方針で。

(3)
偶然で旧友幾人かと連絡を取る。
まだ顔向け出来ないけれど、会いたいなあ。
つきあいがなければ、寂しくなってしまう、それは当たり前の感情。
男が寂しいなんて言うのは恥ずかしいから隠したりするけれど、恥ずかしくなる前に会ってしまえばいいのである。
気持ちが通じている人とのやりとりが、 なによりほっとさせてくれる、と感じるアラサーである。
青春・友情もので泣いてしまう気持ちにしみじみ共感できるくらいには、寂しさと孤独の苦みを覚えてきたということか。

(4)
通り雨があがった夕方、入道雲が残っていた。
もこもこ。

2015年8月9日日曜日

日記

(1)
起き抜けに、埼玉県知事選挙投票にいく。
選挙公報だけを参考に見てみた。
ここ数年で間違った方向に進んでいるのか、もともと県外だったのでわからない。他の候補者の様子を知った上で、変わったり変える理由がないから、現職が立候補を決めたのではないかと思う。


(2)
前々から類語辞典を読んでみたかったのを思い出したので、 まずは書店に立ち読みをしにいく。
夏休みの親子連れが集まる学参売り場で、しばしもくもくと、気になったものをめくってみる。

1.角川「類語国語辞典」(大野晋、浜西正人)
定番のようだけど、ちょっと引き辛さを感じた。索引の読み方がわからない。
2.小学館「使い方のわかる類語例解辞典」(小学館辞典編集部)
これは明快でよかった。僕の目的である、同じ言葉を繰り返し使ってしまう語彙力の少なさを解消する、ということに関しては、平易な言葉の使い方が載っている辞書がいいのではないか。
3.三省堂「三省堂類語新辞典」(中村明、森田良行、芳賀 綏
分類が分り易い。言葉の分野がわかる、だけでなにかのヒントを得ることができる。使いはじめたい、という意味では一番よさそう。より深くを求めたとき、別のものを買えばいい。

4.三省堂「てにをは辞典」(小内一)
文章表現をする人の役に立つ、コロケーション辞典。ということだけれど、使い方が分らず。持っておいても損はなさそう。
5.ベネッセ「表現読解国語辞典」(沖森卓也、中村幸弘)
類語とは違うけれど、もっとも面白く読んだ。
重要語句の用例が、意味毎にグルーピングされておりわかりやすい。
語彙の解説だけでなく、ほかにはない、接続語をみっちり解説する項目があるので、文章の読解、記述をレベルアップさせる為にはぴったり。
中学高校で使ってみたかったな。
文章の羅列だけだった国語辞典を読み通す好奇心がないぼくにはぴったりの、気散じも出来る辞典。

ちょっと見てみるだけでも面白い。語彙力や文章表現は一生ものだと思うので、 なにかで学び続けていきたいな。


本日の読書:
「にんげんのおへそ」(高峰秀子、新潮社)
名作エッセイのひとつということで、かねてから読んでみたかった一冊。一気に読み終えた。
まさに波瀾万丈の人生を送った名女優さん。それを生き抜いたきびしい意志を感じさせつつも、ユーモアある言葉遣いが、なにより飾った姿でなく内側の豊かさと礼儀とを大切にする、著者らしい姿勢のよう。
女優から引退し、自らの当時や今の生活を眺め返す視線に、くすくすとしながらもはっとさせられる。
これで学校にろくにかよえなかったとは思えない。 大切なことを、自分で育てていったんだろうな。
そんななかでも一息つけるオチのついた普通の文章、「オッパイ賛歌」が好き。

女優のエッセイと言えば、渡辺謙の娘、杏の「杏のふむふむ」(杏、筑摩書房)も、みずみずしい感性で業界の大人から楽しく学びながら生きている喜びがつたわってきて、さわやかな気持ちにしてくれる本。
他の誰にも体験できない人生を書き続けて欲しいな。

2015年8月8日土曜日

整理

部屋の片付けを進めている。書籍や服は大体仕舞い終えて、来週頭に荷物を送る。
もう何度目になるか解らない引っ越し作業だけど、毎回手順を忘れているんだよなあ。
だけど、来週いっぱい、退屈なくらい、時間はたっぷりある。


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だいぶん心がよくなってきました。空いた時間が退屈と思えるくらい、余裕ができました。

過去の記事を多少整理します。
もうここでSOSを出すのは辞めたい。
これからは、肩の力を抜いた身辺のことなんかも書いていけるといいな、と思っています。

静かな時間を過ごして、そのままそろそろと、社会に復帰していくことが理想です。
僕の状況から、歳なりの経験をつんだ魅力的な社会人とは言えないけれど、社会にだって、参加することに喜びがあると信じます。