2016年2月29日月曜日

日記





(1)
もろもろ、取り敢えず決まって一息。
やはり全て希望通りとはいかなかったわけですが、それはある意味幸いなのかもしれません。
偶然を受け入れていくくらいには、お互いに話し合う時間もありました。
少し間が空きますが、充電して、前向きな気持ちで迎えたいです。



2016年2月28日日曜日

日記



(1)
写真がまた面白くなってきました。
色々小物を撮ったり、とらせてもらうことがあると、一歩一歩進歩出来ている気がします。
今回はバウンス光を用いて柔らかく撮影してみました。ライトとの距離を20cmくらいしか取れない環境なので、これでも影が強いかも。

物撮りなんて学生時代まったく興味なかったのになあ。
不思議なものです。


(2)
そろそろ2月が終わります。
最後の挑戦です。
もう、このうだうだした自分にいらいらしはじめて、仕方なくなっています。



2016年2月24日水曜日

日記







(1)
雪浴びをするすずめ、埋もれている。
水風呂みたいで気持ちいい・・・のだろうか。


(2)
自分を卑下しないように。
気分爽快で自信を持って生きる、シンプルなことをするために、ごたごたしている。



2016年2月23日火曜日

日記



(1)
ヘッダー画像を登録してみました。季節には早いたんぽぽですが。気が向いた時に更新してみることにします。


(2)
面接で、このほど作成した参考作品を講評していただきました。
デザインの文字組、色使いに関してはいまいち。良いものもある。写真は惹き付けるものがあるとのことでした。
ある意味想定通り、自己評価や見てくれた家族の評価と近いものがありました。デザインは難しく試行錯誤しています。
しかしその中でも写真を気に入ってくれたことは、とてもありがたいことです。

話の流れがあり、思いもよらない方向にいくことになるかもしれません。
自分の希望だけでなく、会社の求めるもの、会社が僕に見て期待することも大事ではあります。
務まるのか心配ですが、信用したい会社であれば、折れる部分は必要かもしれないと思っています。
どうなるだろう?


2016年2月21日日曜日

日記



(1)
なんとか、就職活動の課題制作が一段落つきました。
すこしずつ手応えを掴んでいくことができた10日間の制作でした。
こんなにできないのにできると言った自分の過信ぶりに驚きながらも、やった分だけ新しい技術もつき、実際の仕事の様子を想像できるようになりました。

構成やコピーのアイデアを出して、紙にラフを描いて、イラストや写真を用意して、パソコンでレイアウトをする、一連の流れを3件5種類行いました。

正直もの作りを長くおろそかにしていた影響は大きく、意識と集中力を取り戻すのに時間がかかりました。
苦しみましたが、自分が面白いと思っていたものづくりの感覚を思い出して、新しい技術に挑戦したことがとても嬉しいです。
昔より真面目に取り組めるようになったような、なってればいいな。
やっぱ、何かに打ち込めるのは、素晴らしいなあ。
もっとやりたいな。


日差しを遮っていた部屋から外に出るとちょうど夕暮れ時。
17時を回っても空は明るく、雲がきれいに流れていました。
もう春なんですね。


2016年2月13日土曜日

日記



(1)
就職試験の一環で、チラシなど作っています。
デザインのほかにイラスト、写真、映像、できること全部やってみてと言われて、錆び付いた頭脳に油差してがんばっています。
見てもらうチャンスではあるので、期限まで力を尽くします。
先方からセンスが問われています。
だめなら、伸びしろ無しとすぱっとあきらめがつくはずです。

元々印刷工程の仕事だと思って応募したけれど、意外な展開です。
良いやら悪いやら。
それでもやってみたいと、やることで何か動きそうな予感に逃げずに行動ができる今の自分が見えて、少し嬉しく思います。


がんばりたい、という気持ちは生まれてきました。
ただ、前回のようにストレスフルな環境に置かれたとき、再発してしまわないか。
それだけが心配です。
(就活だめだったら、本屋でバイトしよう、というのが心の支え・・・)


(2)
半年療養して、内面が変化しました。
よいと思ったのが、「○○歳だから、それらしくしなさい」という脳内の指令というか見栄を、無視出来るようになり、鈍感になれたことです。
見栄えが良くなる人生を望んできましたが、実際はここまでそれを築けるだけの力はありませんでした。
そのことを評価せず、事実として受け入れることができるようになりました。胸が痛むこともありません。

また人と関わることで、同じような嫌な刺激を受けることもあるかもしれませんが、今度は受け流せるような気がします。


(3)
今のような生活を、老後に送っていきたい。
いつまでもできる趣味と、生活の心地よさをみつけたものです。


2016年2月9日火曜日

日記



(1)
なんとか進み始めているのだろうか。
取り敢えず、明日、どうなるか。


(2) 最近読んだ本。

「いとしの精神科 患者も医者もみんなヘン」(はやしまつり、河出書房新社)
精神疾患持ち(メンヘラ)の著者が、自身の奮闘を振り返るコミックエッセイ。

精神疾患コミックエッセイの草分け「ツレうつ」は、作者のツレがうつになっていた様子を描いていましたが、この本は著者本人がODやリストカットの常習者。
由緒正しき王道の「メンヘラ」というものです。
原因は自己の無価値観、見捨てられ不安。
自分で自分を要らないと思っちゃうのです。
だけど医師や薬の助けを借りて原因に気付き、最後は「自分を必要として生きていきたい」と思えるようになる。
この長いトンネルの終わりまでを、グロテスクな部分もまるごと追体験させてくれます。

思うに、「病院」はそれだけでとても大切な施設です。
誰も助けてくれない・・・と絶望している時に目に入るのは、病院という公共機関なんです。
よくも悪くもサービスなので、こんな自分も人として扱ってくれるかも・・・と思うのです。
なぜ家族や友人に相談出来ないか。それは彼らが個人であり、大切な繋がりの為、「ここで思い通りに受け入れられない事実に直面したら、もう希望がない」と直感しているからかと思います。
人に必要とされない(と思ってしまっている)人間も受け入れてくれるのが、公共機関なんです。
そこにいる医師が、また当人と大切な人をつなぐために、頑張ってくれているのです。

この作品に描かれていることが、僕自身の体験に重なります。
僕は鬱病と診断されたことはありませんが、鬱状態が続いていた自覚はあるし、性格や価値判断が他者依存的で、特に社会に出てから常に不安を感じて生きていました。
何度か病院に行きました。
実際、初めの病院でのカウンセリングにしっかり通うべきでしたが・・・お金がなくて続けられませんでした。(これまで誰にも指摘されなかった「認知の歪み」をしっかり教えてくれた臨床心理士さんでした。)
心の深刻さを上手く伝えることができず、親に通院用のお金を送ってもらうことも、実家に帰らせて欲しいとも言えず、アルバイトをはじめるという状況。社会と同列になる為に一人で頑張らなくちゃと息巻く。がんばりの基準は「一般人」という架空の他人。終わりが見えず、どう考えても悪化の道を辿る。

そんな風に空回りをしている人、他にもいたんだと思い、自分の過去の「病気」を受け入れる気持ちになりました。


ライトなエッセイマンガ風ですが、人によっては拒絶したいほどの怖さを感じる本だと思います。また、ただ「イタい」だけに見えて気持ち悪いかもしれません。
それでも出版してくれたこと、また手に取ってもらうべく図書館が購入していたことに感謝しています。


2016年2月8日月曜日

日記







(1)
図書館方面へ。
道中の川でミソサザイを二羽、みかけて嬉しくなりました。
さえずりだけじゃなく地鳴きの声も大きくて、声がする方はわかりやすかったです。
しかし白背景で撮ったら、黒く潰れてしまうのだなあ。
穴ぐら色のサザイさん。

カケスが三羽、不思議な鳴き声で鳴いているなど。何か旋律のような部分もあり、もしかしてさえずりなんでしょうか。
カケスも木の皮をはぐのですね。冬の公園内の木がはげていくのは、野鳥たちの仕業なのかも。


2016年2月7日日曜日

日記



(1)
就職活動に際して、いまだ高い壁に挑み続けている感覚がある。
肩に力が入っているのかな。他人から見て立派な人生の軌道に乗らなくちゃいけないと!
自分の頭と信じたいことを信じるのが、初めの一歩なのかと、これまでを振り返って思う。

今は、ここ数年ないくらい平和な気持ちが戻ってきている。
ようやく、大切な家族や友人、先輩方の言葉が入って来るようになった。
どのような関係であれ、前職の一年間で色々な方にお会いしたことを、ありがたく思う。

読書と散歩と料理、日記、でまわっていく日々。
3ヶ月くらい家族としか話していないけど、じわじわとした暖かさは、風に吹かれずに、大切に守られている。


2016年2月5日金曜日

日記



(1)
自分から逃げていたら、自信を持てず、決まるものも決まらないと、おそらくそれだけの話。
無節操に応募書類を出したら後悔する。
実力と、頑固な願い、直感を受け入れることだ。
エネルギーが出てくる。
仕事したいな。


(2)
前の職場にいた時に起こった、喉のつかえ感が治らない。
耳鼻咽喉科で検査してもらったところ喉はなんともなく、気にしないこと、と言われたのだけど、受診からひと月たって治ってくれる訳でもなかった。
いま「半夏厚朴湯」という漢方を試している。
心因性の喉のつかえ感に効くらしい。どうなるかな。
ただ、胃が荒れていて、胃液の逆流でつかえることもあるとのこと。
とにかく、喋るのに詰まって困るので、なんとかなってくれることを願っている。


(3)
最近読んだ本。

「『暮しの手帖』とわたし」(大橋鎭子、暮しの手帖社)

編集者魂。花森安治を立てながらも、自らも情熱の人であったことが伝わってくる本。
戦後の暮しをよくしたいという強い思いで提案した企画が、型破りでありながら読者のニーズに確かに応えたからこそ、「暮しの手帖」は大きく部数を伸ばしたのだと思う。
広告を取らぬまま部数を伸ばせたことは、独自の発言力を持つことにつながり、商品テスト企画などに巻き込まれるように、日本の各社の商品も質を上げることができたのではないか。
意義ある仕事をして生きる充実感を満面に受け取った。たくましさとはこういうことではないか。

今は「よい暮し」が浸透した結果、書き手や類似のメディアがたくさん現れた。たくさんの書き手をキュレーションする編集長として、「もの」「ていねい」な消費生活が好きな松浦弥太郎にバトンタッチされたのだろう。
今の暮しの手帖が伝えるのは「ていねいに暮す喜び」へと変化している。
戦後の焼け野原から築いてきた、安心安全な商品とサービス、それらが溢れるなかで、心のまなざしを育てていくこと。
それはまた、「これからずっと強いメッセージが要らない安心な生活を望んでいる」というメッセージのように思う。

こうして成熟していく時代と、見合った成長をしていく自分の雑誌を見届けていられる大橋さんは、それがとても嬉しいに違いない。


(余談)
「暮しの手帖」は、先月発売号より編集長が澤田康彦さんに変わった。これから、「ていねいに」にとってかわる軸を打ち出すのか。
もちろん、新しいものを見せてくれることが嬉しいけど、あえて何もしなくたっても、賛成出来る。
幸いにして同誌が好きな一家の旦那さんのようなので、「ku:nel」の二の舞になるなんてことは、なさそうだけど。