2014年1月6日月曜日

読書記1:「ぼくは本屋のおやじさん」早川義夫



「ぼくは本屋のおやじさん」
早川義夫 著
2013年筑摩書房刊(1982年晶文社刊・同書の文庫化)


これは(元)本屋さんが読む本である、と思う。
他に読みたがる人を知らない。 きっと居るとは思うけど想像がつかない。

著者は歌手らしいのだけど、僕はそんなことは知らなかった。
そしておそらく大事ではないだろう。
約20年間のおやじさんの生活は、僕が書店で送っていた仕事生活と符合する事おおし。
つげ義春に書皮の絵を頼んだり、神保町の取次に仕入れにいったりはしなかったけど、
うなずくことしきりだった。ぜひ店員のあいだでまわしよみされて欲しい。

特に、意外と広範にわたる店屋業ならではの、客と店を持たせる苦労と、出版業界特有のルールにより小さい書店で「売れる本が仕入れられない」悩みが子細に綴られている。(某大手KやJやY等の店員にはわからないかも。)
そして読み進むにつれて、これが生活なんである、とじわじわと感じてくる。
日々の苦労、愚痴がよくこぼれる、しかしそれは、何もおおきくもちいさくもないが、理想というものを持っているからだろう。

本という静かな世界を「住まい」に選びとりたかった。
能力うんぬんでなく、この人は、その為に、真剣に仕事をしていたのだと思う。
真剣に、本屋に来るお客さん、本屋というもの、について考えながら日々悶々と業務を行っていたのだ。 



読書については、こう考えていたらしい。 

本なんていうのは、読まなくてもすむのなら、読まないにこしたことはない。読まずにいられないから読むのであって、なによりもそばに置いておきたいから買うのであって、読んでいるから、えらいわけでも、知っているから、えらいわけでもないのだ。---p.p.76

 えらいわけでもない生活を営んでいきたい、と、いうせりふが、おもいうかび、読書中、なんだかえらく時間の進みが遅くなった空間の中で、ゆっくりと、かみしめた口のなかで広がっていた。


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ところで思うに、この本がロングセラーとなったのは、(もうひとつの)強いメッセージ性のゆえではないか。
それは巻末の大槻ケンヂによる解説によってわかりやすく突きつけられてしまった。

”どんな仕事も楽じゃありません” との、あまりにシンプルでストレートな、逆に当たり前過ぎてつい忘れがちな真理を、それこそ「就職しないで生きるには(この本はもともと、晶文社「就職しないで生きるには」シリーズの一巻として発売された)」なんてことを考えている若者に教える良書であると思う。     ---p.p.243


胸が痛みますね、ええ。

この本を読み「バンドをやめることをやめた」大槻ケンヂが気づいたこと、それは、自分の(ただひとつではない)「住まい」があり、それを持ちこたえることができるかもしれない事実、ではなかっただろうか。
”この為に日々悶々としながら働けるかもしれない。 ”

そしておそらくは他の読者と同様に、読後、もう本屋なんてやるかっ、と毒づいてしまった僕は、自分の「住まい」のことを、見直してみるしかないのだった。
「おれだって一応、生きていくのに充分なくらいには働いていたんだなあ」なんて、ちょっとのぼせた気分になりながら。