2015年9月27日日曜日

日記



 

(1)
先日出かけたウトナイ湖の道の駅で買ってきた塩麹を使って料理をしました。
なすと胡瓜の漬け物と、とりもも肉の塩麹漬け。
どちらも漬け込み一日置くだけという、簡単で助かるメニューでした。
とりもも肉は豚の味噌漬けのような香りと風味。あれは肉が発酵する風味なんでしょうか。
他に味付けなし、弱火で焼くだけで美味しくしあがりました。
当日の晩ご飯を作りながらこれらの漬け込みをすれば、一晩で二日分のメニューを準備出来ることになり、忙しいときにも良いですね。

今日は中秋の名月。
日中通り雨がありましたが、夜には晴れ上がって、綺麗なお月様を見ることが出来ました。


(2)
先日借り換えた図書館の本の中から。

「隣人。 38度線の北」 (初沢亜利、徳間書店)
2010年から2012年に撮影された、北朝鮮の人々をスナップした写真集です。
しばらくぶりに読み応えあるドキュメンタリーフォトに出会えました。
個人の眼が生きた、フリーの写真家ならではの作品と言えます。

「掲載された」写真、著者自身の撮影記、前提として北朝鮮という国の姿および日本との外交関係、その行間を漂い考えるうちに、ここに写された人々の表情に思いを馳せることとなります。

あたりまえですが、どこの国に居ても人は表情を持って生きています。ただ、マスメディアの「実用的な報道写真」だけを眺め続けていると、いつのまにか忘れてしまうようなのです。
組写真、という形式は、写真家と被写体がそこに居た時間をあまりにも生々しく残してくれるものです。
写真家個人の精神と身体がそこに居座り続けた証しとして、一人の人間ひとつの光景を収めた写真が、かけがえのない生活の物語を想起させる力を放っています。

初沢さんは現地のコーディネーターと何度もお酒を飲んでいます。 苦楽ある良い顔の本です。

2015年9月24日木曜日

日記

(1)
秋の服を、引っ越しの際に捨ててしまっていたので、リサイクルショップで調達してきました。
状態と値段を確認するのにハンガーをめくっていく様子は、見られたら恥ずかしいんですが、なかなかいいものを掘り起こそうと探すのは面白いです。今回はグレーのセーターとモスグリーンのマウンテンパーカーを買いました。
三千円ちょっと。
余裕ができたら、もうちょっといいところに買物に出かけたいな。
何年も前から使いでのいい鞄を探していて、それが最優先。


(2)
本棚の整理をしています。

ときに、本は読みすぎて、手に取りすぎて癖になってしまうことがあります。
長らく本に溺れていたな、と反省しました。持っているものの価値を過信していた節がありました。
ここ一年でそれを感じる場面が多々あって、自分はそう思うようになった、と気付いた次第です。
道徳に閉じこもってはいられません。 安易に威を借り他人を批判する為の武器にしてもなりません。


中学・高校では漫画、大学生時代は美術と思想の入門書、書店員の頃は新書ときて、現在はエッセイやノンフィクション、アウトドアの本を中心に読んでいます。
目についた昔の本をめくり懐かしい気分になるのもいいんですが、棚にはやはり、今読みたいものをよく並べることが、現在の自分を確かめることにも繋がりよいのだと思います。
大分血の通う並べ方になってきたように思います。あと一息。

残っていた本の少なくとも半分は、しばらく出番がなさそうです。
どこかで休んでもらい、新しい風を招こうと考えています。
今回並べなおしたところ、理科系の本や生活実用書が関心にくらべてとても少ないのが気にかかりました。
大体図書館で借りたりネットで見て満足していたみたいです。
これから気になったものを買い足して、自宅の本棚も負けない魅力あるものにしていきたいです。

2015年9月22日火曜日

日記



 

(1)
のんびり暮らしています。
気がつけば北海道に帰ってひと月が経っていました。
気持ちを落ち着けて、ほんとうにのんびりとできる日が増えてきました。

いろいろほったらかしですが、それが本来の自分の姿でしょう。



(2)
いくつか本を読みました。

 「けもの道の歩き方」(千松信也、リトルモア)
猟師になるいきさつと思想を綴った前作「ぼくは猟師になった」が大変面白くファンになったため、待ち遠しい新刊でした。
今作は、猟師生活の紹介よりも、普通に暮らす中で接している動物や自然についての思いを中心に描いたエッセイ。
前作がつくったブームで様々なハンターが本を出版しましたが、それでも千松さんの魅力が色褪せないのは、そのライフスタイルを裏付けている思想が確かなものだからだと思います。
食べ物としての動物と自分の関係を問いなおす、ことにはじまり、「本人にとっての」人間社会と自然世界のより適当な関係を求めています。
今回ほとんど猟のシーンがないのは、「猟をする姿」が自分にとって中心のことではないから、ということなのでしょう。
千松さんは静かに変わらず、充実した生活を送られているようで、その姿を読めるのが嬉しく思いました。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(米原万里、KADOKAWA)
ロシア語通訳の著者が、幼い頃在プラハ・ソビエト学校で出会った個性的な3人の友人の思い出と、改めて会う顛末を記したノンフィクション。
共産主義と資本主義の争いがあった頃。終わった今。
平等を理想とする共産主義国の中で特権階級にいた彼女たちの暮しと誇りの矛盾や、その後の人生、少なからず自分の環境を「合理的」に解釈して生きていることは、変わらないものと思います。
しかしそれぞれの人物描写が魅力的で、いろんな感情がないまぜになるけれど、結局愛すべき人々の人生、というものを思わせてくれます。
それは、地位や社会の体制などにかかわらず、人が親しい人に抱く愛情というものではないでしょうか。

2015年9月17日木曜日

9月16日(水曜日): ウェイ・トゥ・支笏湖

とても気持ちよかった一日でした。
レンタカーで支笏湖方面へ。
バードウォッチングカフェ〜支笏湖温泉街〜ポロピナイキャンプ場〜モラップキャンプ場。


エゾリス、エゾシマリス、かわいすぎです。至近距離でにやにやしてしまいました。バードウォッチングカフェ、支笏湖野鳥の森にて。
森に落ちていたコクワを拾いました。強いマスカットの香りに惹かれて食べたら身はキウイ、皮付近はぶどうの味。美味しかった。
初めて野に落ちているものを食べたのでどきどきしました。お腹は壊していません。
支笏湖は言わずもがな、千歳の自慢出来るスポットです。外輪山のなかにぽっこりあるかわいらしくも雄大なカルデラ湖。
湖水の透明度は随一。山登りもキャンプもできる、駅からたった1時間で遊びにいける自然の宝庫です。
近頃はいい店ができて美味しいスイーツもありますよ。おしゃれな洋菓子やさんのたるまえシューに驚き。
食事はヒメマスありなぜやらジンギスカンもあり、いまは鹿肉のハンバーグ食べられます。

とりあえず写真を残しておきます。感想ちゃんとまとめたいな。


2015年9月14日月曜日

日記

(1)
昨日の話。札幌で友人と会ってきた。
彼も今年北海道に帰ってきたとのこと。将来の生活を考える時期なんだな。

ギャラリー門馬とretaraで展示を観る。
retara、田名網敬一さんの展示、サイケデリックで精緻な画面。眺め飽きないクオリティ。とてもよかったです。
紙媒体作品はいずれも「inkjet print, silkscreen print, ground glass on paper」との素材表記。
エディションナンバーがついているからコラージュではない。あの複雑な表面をどうやって一括して印刷したんだろう?
知りたいな。
(作家HP: KEIICHI TANAAMI

円山エリアはギャラリーの他宮越屋本店など、休めるスポットもあり、遊べます。
六花亭の喫茶室もいってみたかった。またゆっくりまわりたいな。

晩ご飯は、ちょうど先日はじまったさっぽろオータムフェスト にて屋台めし。
うに飯、グリルオイスター、サンタのヒゲ(赤肉メロンの上に、ソフトクリーム!)。
地酒、ワイン、クラフトビールと、満喫しました。
食事も酒も美味しい、そしてイベント時の大通のにぎわいと開放感は気持ちいい。
そろそろシルバーウィーク。観光客の方には自慢したい催し。

一日遊びつくし、充実しました。

2015年9月12日土曜日

日記

 

(1)
図書館へ、本を返してまた借りてきた。
新書棚の隣を覗いてふと手に取った、「あたりまえなことばかり」(池田晶子著、トランスビュー) を読み始めている。
哲学エッセイというものらしい。プラトンからカントくらいまでを思考のもとにしている。

道徳と倫理の差異について語る「善悪を教えるよりも」が面白い。
道徳=世間から与えられる規範、倫理=自分が直観する、内在化している規範という定義をしている。
ここに「世間」「自分の価値観」を捉えるヒントを貰った。
人に流されがちなときに、効くクスリなのかな。

今の僕にとって大切なこと、音数は少ない方が良く、頭は(良かろうが悪かろうが)落ち着いているのが一番なのです。

帰りに青葉公園を散策。森の中で大量の蚊に襲われて逃げてきてしまった。
それでもゴジュウカラがたくさん綺麗な声を響かせて気持ちよい時間。シダ植物に覆われたエリアによい光が差し込んでいた。
また、入り口付近に溜め糞をみつける。どうやら狸がいるらしいな・・・。

2015年9月11日金曜日

日記

(1)
検定試験テキスト、問題集ともにひととおり終わっている。
エクセルで正誤と正答率を出せるようにしたシートを作り、入力して復習中。 何度も繰り返せるので便利かなと思う。
得意分野と苦手分野をはっきりさせよう。

一日いちにち、なにか進めたら気が楽になる。ひょっとしたら、何か目標を立てることが好きなのかもしれない。
気持ちを押さえつけて疲れているのではと疑う。

(2)
夜中のランニング中、黒猫にやぶから二回こんばんはされる。
びびる。かわゆい。

2015年9月9日水曜日

呟き

(1)
やりたいこと、って以前は前向きな気持ちで持っていたけど、どうせできない・・・って諦めがでてくると、どうもそれに気付くのが怖くなるようです。
中途半端にしていて、いつのまにか遠ざかってしまうのだな。

自分が幸せになれる選択をしなければならない。
世の中に嫌な気持ちしか持てなかったら、部屋の中に引きこもり続けるしかない。
ここ数年で世間の人々に抱いた恨みつらみに負けず、前向きに生きていた自分を思い出し、長く続けていく強さを持ちたい。
いつだって自分の気の持ちようだけが足かせとなっている。許される場所はあった。試されてはいた。逃げ出さないことだ。意志をはっきりさせることだ。

2015年9月7日月曜日

日記

(1)
部屋にものがたくさんあるんで、遊んでいる。
ギターもしばらくぶりに触ってみた。

これまで色々手をつけては中途半端にしている。
ちゃんとやれば、じわじわと全部うまくなってくような気もする。誰かに教えてもらいたい、と思ったり、下手過ぎて恥かくのが嫌でひるんだり。
30過ぎたらそんなことも、悩みの種ではなくなるのかな。

(2)


 ken yokoyama - Not  Fooling Anyone


(3)
twitterは居心地悪くなってしまった。
某エンブレム問題ではっきりした。
なんか大きな負の感情に飲み込まれていきそうで怖くなる。
リンクされるまとめサイトの口汚さは言うまでもないけど、ネットメディアの記事も黒い感情を刺激するように感じたりして目に毒なこともある。

とかく、ページビューや話題性が占拠する場所となってしまい、余計な情報が目につきやすくなっている。
ネットだけの面白さを求めてネットを見始めた人としては、こう感じるのが残念とも思う。

もっとこう、好きなこと話そうよ、他愛のないことで良いから。
僕はかなり反省して、こう考えるようになった。
もう抜け出している人もいるだろう。
 良い使い方が出来るようになりたいものだけれど。

気負う必要ないブログは楽しいな。

2015年9月5日土曜日

日記

(1)
庭仕事の手伝いで、カエデとダケカンバの枝落としをする。
何年ぶりかでのこぎりを扱う。気持ちいい作業だった。
しかし近隣の庭は良く整備されている。母一人では作業は大変だから、家の人間が協力してやっていくもんだな。
塀が低いので、結構外から様子が見える。
せっかくなのでやりがいのある庭ということで、何か食べ物も育ててみたいなあ。

(2)
バレー全日本女子、残念だったなあ。しかし全力プレー、会心の笑顔を堪能させて頂きました。
サッカーや野球よりも一瞬を争うチームプレー、世界大会なので、それぞれ私欲の余裕もなく、チームが機能することに集中して闘うこの気持ちよさ。
そんな綺麗な形に癒されました。

日記

 

(1)
久々に料理をする。ビーフのかわりにポークを使ったブラウンシチュー。これは毎回いい匂いがするまでどきどきするのだけど、美味しくできたようでよかった。
これまで白米と合わせていたけど、フランスパン合うなあ。

次はやさしい味のものを作ろうか。
僕のレパートリーは塩分とカロリーが高い。

(2)
写真作家、中平卓馬の訃報。
朝日新聞:写真家の中平卓馬さん死去
写真狂いの学生時代に傾倒した。

酒、煙草(ショートホープ)、眠剤で身体を壊し、倒れ、記憶喪失にまでなった。むしろよく生き延びた・・・という感想。
独特の社会と写真の関係論に基づいた表現は、写真界隈を巻き込む稀なパワーがあると今でも解る。
カメラと写真に没入し、その世界で生き延びる人生を全うできたのだと思う。
その筋を通すことが出来ることが少し羨ましかった。

せめてこれからはゆっくりして欲しいと願う。
ついでにこの世もそんな社会になっていたらなあ。

2015年9月3日木曜日

日記

(1)
書いた方が、気持ちは整理出来るようだ。
けれど、自分の内面しか見ていないようで、不安になったりする。
ここ数日は大体家の中に居て、夜ランニングをしに外出する生活。
毎日大体3km、30分弱、ひとまず一週間続いている。
お腹周りを引き締めたいし、結構楽しい。

(2)
ハローワークで失業認定手続き。
怖くて、汗が出て、声が出なくて、胸がつまる。
とりあえずがんばって、はい、ええ、と相づちを打つ。話している間に自己嫌悪する。
着ているもの、身体や表情、呼吸、感情、ぜんぶが嫌になる感触。
ちょっとだめだめな気持ちで家に帰った。

ただ、これを乗り越えるのは、自分の気持ちが動かなければできないことだ。
なぜ、辛い気持ちに浸ってしまうんだろう? 切り替える方がどう考えても楽になるのに。
辛さにしがみつくことがある、と聞いたことはあるけれど、なぜ自分がそうなるのかは解らない。
せっかく優しい人が居て静かな環境があるのに申し訳ない。
もしかしたら、欲が深いのかもな、と思う。

(3)
この先自分一人で生きていけるのか? 立派な大人になれるのか?
半年前くらいから、常に疑問に思っている。
社会人になるのに失敗した思い出ばかりだ。
自分の足で立つのは、その誇りを持とうとするのは、年がいく程情けない気持ちを催させる。
批判をはねのけて脇目も振らずに、というのがいいんだろうな。
誰からも、どうでもいい人間と思われる前に、自分の意志をはっきりさせなくては。