2015年11月30日月曜日

日記











(1)
応募書類を何通か、添削してもらい提出しました。
これまで職務経歴書に自己PRの欄を設けたことがなくて苦手としていたのですが、アドバイスを貰いながらなんとか完成させることができました。
入社前に、会社で役立てたい自分の性格と能力を理解してもらうことは大切と、これまでの遍歴の中で実感します。
初歩の初歩が苦手だった訳ですが、少しだけ前進できたのでしょう。
ふんばっているつもりです。


(2)
友人宅へ。
二人の赤ちゃんと触れ合ってきました。ちゃんとだっこしたのははじめてかもしれない。
そしてお風呂上がりみたいないい匂いがします。何をするかわからないハラハラ感があります。これはほっておけない。かわいい。
そんな二人を眺め続けていたら日が落ちていました。

また、みんなそれぞれ役割が変わり始める時期なのだと感じます。あれほどかよわい生き物を育てられる心意気があるんだな。
僕は僕で、落ち着けるような姿をみつけていくのだろうと思います。

2015年11月28日土曜日

日記















(1)
冬の庭は、バードケーキが大人気です。
スズメが、みたこともない数で押し寄せてきてちょっとこわかったり。くちばしの黄色い同士で威嚇し合って喧嘩していたり、集団の中にも動きが見えるようになりました。

新しいカメラでは、よりアップに、より高速シャッターを切れるので、撮影の幅が広がっています。
特にISOオート機能のおかげで、シャッタースピードを保ったまま深い被写界深度で撮影ができるようになり、シャープさを出せるようになったと思っています。
羽ばたきや喧嘩の様子、鳥たちの表情も写しとれて面白いです。
フィールドでも鳥たちの姿だけでなく、生活を感じる写真を撮ってみたいと夢見ています。


(2)
もっと真剣にやれば、生きやすくなるのかもしれない。
態度や意見をうやむやにしたまま生活していると、不満の種への対処も難しく、心が散らかっていきます。
それをなんとかなだめすかして来たのがこれまでの生活だったようにも思えます。

 syrup16gの「生活」という曲に次のような歌詞があります。
「生活はできそう? それはまだ 計画を立てよう それも無駄」
精神的、経済的自立の両立ができないことを暴露した歌です。
ロックだけども、ロックに生きていくのは、強引で孤独なもので、それはそれで覚悟がいることですね。

うまくいかなくてやけになったとき、歌ったり、酒を飲んだり、放蕩したりとさまざまな仕方で紛らわすことがあると思います。
それに頼りすぎないことが自立心を持つことなのではないだろうか。
遊びをいれる余裕を持ちたいものですが。

2015年11月24日火曜日

日記







(1)
鶏肉のウスターソース煮込み。
味付けはウスターソースとコンソメのみ、煮詰めるだけ。簡単過ぎて不安でしたが、これがなにかスパイシーなカレーのような味になり、美味でした。
「小林カツ代の切って煮るだけ鍋ひとつだけ」(小林カツ代、講談社+α文庫)より。
他にも、具材を同じ大きさに切って鍋に放り込むだけでできてしまったチャウダーもしっかり美味しかったです。
作業手順も詳細な、仕様書のようなレシピ集とは全く逆ですが、それでも計算された味を感じます。
主婦は喜ぶでしょう。カツ代さん・・・凄い。


(2)
庭のスズメに、シジュウカラ用のひまわりの種を食べているんじゃないか、という疑惑がかけられていて、我が家では母を中心に捜査活動を行っていました。
きっかけは不可解な量の殻が散乱していること。また、スズメが種をくちばしで挟んでは地面に降ろし、また持ち上げているという奇妙な行動を観察したことです。
スズメは殻付きのひまわりは食べられないはずだけれど、まさか。

今朝、証拠を捉えることができました。彼らはクロでしたね。
きっと一時期一緒になったカワラヒワの行動を真似たのでは、と推測します。
スズメの場合は、例えるならニッパーで何度か圧力をかけて、脆くなった部分に穴があいたり開いたりするようにして、中の種を取り出しています。
シジュウカラの職人技より、カワラヒワの力技を盗んだようです。体格的には両者の中間ですが、動きはカワラヒワのほうが近いものがあるのでしょう。
この身近な鳥の学習能力は侮れません。見ていて飽きず、面白いです。


(3)
今朝目覚めると銀世界でした。夜まで降り続いたので、根雪になりそうです。
今年は10月末以来降雪がなく、予想に反して暖かい秋でした。
さてこれから大変ですが、北海道の冬、楽しんでいきたいですね。
ひまわりのフィーダーにも雪が積もり、バードケーキは凍結しそうですが、鳥たちは来てくれるかな。


2015年11月22日日曜日

日記











(1)
図書館へ。
カラ類の混群に出会う。
シジュウカラが枯れたヨシをめりめりとはがしていました。どこを食べているのだろう。
そして今回、はじめてシマエナガをまともに撮影できて喜んでいます。どこかファンタジーな見た目。妖精のようだなあ。可憐だ。
ちなみに川向こうでシマエナガのみの群れになっているのも確認出来ましたが、写真では豆粒状態でした。
野鳥撮影は難しい世界ですね。腕も機材も、一流を目指すなら地道に積み上げていかないとなりません。

市役所近くの川沿いにもヤマガラ、アカゲラの姿が見られました。山から降りてきているのでしょうか。
なにかの間違いででも、うちにも、来てくれたら感激しちゃうんだけど・・・。


(2)
今読んでいる本。
「日常生活の探求 ライフスタイルの社会学(放送大学叢書)」(大久保孝治、左右社)
何年か前に買っていたものを再読しています。ふと手に取ってめくってみたとき、自分の状況によりそってくれそうな予感がしました。

雇用者全体に占める非正規雇用の割合。
1990年では20.0%、2010年には33.6%、そして最近の報道では4割になったとあります。
本書には性別・年齢別の割合も記載されていて、男性25〜34歳は1990年 3.2%、2010年には13.2%と10%も増加しているとのこと。家族を持つ年齢での雇用の安定性が下がったことで、未婚率にも影響が出ていると見られています。
25〜29歳男性では 1990年46.5%、2010年71.8%。女性では、1970年18.1% 、2010年60.3%。
「結婚したくない」という人の比率が劇的に上がった訳ではない。


「頑張る」と「無理をする」こととのあわいが視え辛い。批評をしづらい。
世の中の目を気にしていると、やはり「勝ち組」「負け組」なんていう前時代を引き継いだ解り易い言葉が出てきてしまうこともある。
本書にある通り、「安定した仕事や家庭を持てる人は依然として多数派である」為に余計、頑張っているように見えなくてじれったい。誰かを幸せにするに値する人間でありたいなら、当然今より頑張ってしかるべきだと。
そうした空気が人を攻撃しているのも確か、だけれど歯を食いしばらなければならない場面がやってくるのも確か。
その中で無理をしないでやっていくには、怯まずに、自分の身体と心を中心に選んでいくことではないか。

誰かが言っていたけれど、「自分なりの勝ち」を目指していくことしかないのだと思う。それが前世代の再生産であっても、以前にはなかった価値であっても。
状況に適応していく価値観が生まれていくんだろう。無理をしないために。

個人のものさしというのは時に理不尽に厳しい視線に晒される。
それでも尚、世の中のとげとげしさをやりすごせる、自分の居場所をみつけて、耕していくということのように思います。
そして互いに状況を解り合えた者どうしなら、寄り添って生きていけるのかもしれません。

ひとまず生活出来るようにしっかり、仕事を続けられるようにしたいです。

2015年11月18日水曜日

日記





(1)
庭で二度目のハシブトガラを確認しました。一羽で来ている様子。
シジュウカラと同様に、フィーダーからひまわりの種を取って、近くの枝に移り、くちばしで叩き割って食べています。
その様子が撮影出来なかったのが悔やまれますが、秋冬らしさ、出てきましたね。定着してくれると嬉しいです。
普段は市街地には出ず、林に住んでいる種なので、クチコミ元はきっと街と林を行き来するシジュウカラでしょう。


(2)
「かぐや姫の物語」(高畑勲、スタジオジブリ)借りて観ました。
ストーリーに人生のたくさんの部分を重ねて涙してしまいました。
もちろんアニメーションも見事。比較的年配のアニメーターが参加しているようですが、生き物たちの描写はやっぱり、その尊さを知っている人でなければ、あれだけ感激するものにはならないでしょう。

めまぐるしい速さで進む生のさなかで、苦しんだり喜んだり、自分の感情を生きている実感こそを証として持ち続けたいと、かぐや姫は思ったようです。
なくなってしまうと知っていたら、それが掛け替えのない愛しいものと、実感するものなのでしょうか。
僕はそれで苦しむことが多いので、なくなってしまったらよかったのにな、と思うこと幾度もありました。
一人の人生の先輩からのメッセージなんですね。


(3)
今読んでいる本。

「今日もいちにち、ぶじ日記」(高山なおみ、新潮文庫)
「日々ごはん」と同じ体裁の日記です。 高山さんの文章の感じに安心するので、一冊持っておきたくてこちらは購入しました。
今回は山梨に「山の家」を買うエピソードもあり、わくわく感もプラスです。

山梨、上野原や隣の神奈川県藤野には何度か行ったことがあります。
花火を見に、あと用もないのに一人でふらふらと。なんだか落ち着きます。
田舎と町のあいだみたいな、騒がしくも寂しくもない妙な場所が好きなところが共通しているような気がします。


(4)
聴いている音楽。
「音タイム」ハナレグミ
以前はちょっとシャレオツ感から手が出せない、と勝手に思っていたんですが、そんなこともなく心地よいです。
家の匂い、ちょっといたずらな大人たちのたまりば、というイメージのアルバム。
「家族の風景」「かこめ かこめ」「一日の終わりに」など、休みの夕方あたりに聴きたいナンバーがよいです。

駅前のレンタル屋さん、昔と比べて相当品数が少なくなってしまった。
CDじゃないとないんじゃないか、と思って借りに来る僕のような人間も少なくなったということか。

2015年11月15日日曜日

日記



(1)
庭に出していたフィーダーの底に溜まっているひまわりの種から、芽が出ていました。
中身を新しい物に変え、発芽していた種はいくつか母がとり、植木鉢に植え替えていました。育ってくれるだろうか。

庭の様子。朝7時半くらいにシジュウカラの鳴き声が聞こえます。 それから30分ほど遅れて雀が大群で押し寄せます。
近頃ではしっかりバードケーキの味を覚えてしまったようで、塗ったまつぼっくりに見えるのはやつらばかりです。
そろそろ冬なので、庭の顔ぶれ少し変わって来るでしょうか。
以前ヒレンジャクなども来たそうなので、見れたらいいな。

また、生き物関係では、小松菜についていたカタツムリを飼育しています。3週間くらい経ったかな。
本来冬眠の時期のようですが、毎日霧吹きをしていると、元気に動き回っています。
手抜き飼育でも生き物が生きているのを見る楽しみがありますよね。


(2)
教えてもらった札幌のバンド「THE INTI」がかっこいいです。
またthe band apartの話なんかして、しばらくぶりにyoutubeで探したら、日本語で新曲を作っているんですね。
これまたいい。ライブいきたい欲が久し振りにでてきました。
THA BOSSの新譜も欲しいし、ジャズ方面でなにか開拓したいし、音楽をまた楽しみ始めたいな。


(3)
学生の頃みたいな写真を少し撮っていたりします。当時は「Pinion」という仮題でまとめていました。
なんでもない景色と撮り方、だけどそこに立った人、カメラを持った人しか残せないという事実はとても写真的だと、僕は思うのです。
時間、場所、その一回性を実現するのは撮影者のみに偶然整った状況です。技能がなくても存在している物です。
他の意味内容を持たずにそれが立ち現れる写真を作れないものか。
エモーショナルな要素が見えないことがポイントです。
怠惰な作品ではありますが、それが写真になるというこの組写真の姿勢だと考えています。
しかし、発想を上手く伝える力がなく、結局学内での発表などもせずにお蔵入りになりました。
伝え方を真剣に考えていけば、面白がってもらえるだろうか。

河原温さんのデイトペインティングや「I WENT」などのシリーズの、唯一かつ誰でもそうなれるような一人の形容できない一日が展示される価値に化けてしまうあの説得感、本当に見事だよなあ。

2015年11月14日土曜日

日記

(1)
また、気分の落ち込みが激しい日々を送っていました。
今日の夕方いきなり気力が回復して、外出して買物、DVDレンタルしたり。(「かぐや姫の物語」を借りてみた。)

今回は風邪を引いていたのと併せて、起き上がれず苦しい状態でした。
悪い状況に対して様々な不安が押し寄せて潰れてしまう、と考えて、毎回原因探しをしたりするのですが、どうやら違うんじゃないかなと思い始めています。
今日調子を戻してきたのは特になんのきっかけもなかった。風邪は悪いままだしお金も減るまま。
毎月、たとえどんな状況にいようとも、一度や二度はうつ状態になり、なぜかどこかで回復して色々やりたくなってくるのです。
(今日は写真を撮る環境を作って、空想スタジオを作りたいと思いついた。わくわくしたけれど、こういう日の発想の多くは続かない。)

病気だろうとそうでなかろうと、こうした心とつきあう暮しを変えたかった。
だけど、落ちるも戻るも原因がいまいち、掴めそうでつかめない。
変えることを諦めたほうがよいのか。

気晴らしをできる環境を増やしていければ、なんとかなるのでしょうか。
ここにきて、人付き合い下手、生き方が下手、というのを強く意識します。
しかし、もう戻るところはありません。
下手なりに楽しく生きるということで、私自身のプライドには勘弁してもらいたい。
多分結婚もできないし、友だちも増えないし、お金も生きて行くのでやっとだし、創作も下手なまんまだ。
人には優しくなれないし、いつも自己中だ。
そして心は不安を繰り返し、たまにとても大丈夫だった夢を見るんだ。
こんな人生の灯りそのものを見つめて欲しい。
そのために、どんな仕事をすれば、自分も安心して、会社に迷惑をかけずに過ごせるんだ?
ぐるぐるどうどう巡りなのです。

2015年11月10日火曜日

日記





(1)
川にはホッチャレがあがる時期となっています。
繁殖を終え力つきた鮭たちが、打ち上げられたり川底に沈んでいます。
生命はDNAの乗り物なんて言いますが、繁殖が終わった個体がすぐ役目を終えるライフイサイクルとなっている動物も多くいるのでしょう。
人間も子どもが生まれると次の世代を意識するといいますが、それはどんな感覚なのでしょうか。聞いていくのも面白そうです。




2015年11月7日土曜日

日記





(1)
『誰もいない場所を探している』(庄野雄治、mille books)を読みました。
普通に働いて、お金が貯まり、子どもが生まれたけれど、仕事は嫌いだった。ため息ばかりの人生を子どもに見せたくない。何かやって充実している人生を示したい、と一念発起して、30代でコーヒーロースターを始めた著者の体験談です。
庄野さんは、コーヒーでなくても、何か自分でやりたい「DIY精神」、その気持ちこそ子どもに伝えたい「世の中で生きる楽しさ」というように考えたのだと思います。
日々一生懸命打ち込めることがあるのは、何にもかえられない力です。

「生活のため」「我慢をする」ことで気力が薄らぎ、前向きに人生を楽しむのが難しくなることがあります。
日々の生活が事実よりもネガティブな状況に見えて、毎日その気持ちに引きずられてしまったり。
酒や煙草に溺れても忘れられないことはあります。
解決するきっかけは人それぞれなのでしょうが、僕自身の実感では、幸せのマニュアルや与えられる喜びに頼っている間はきっと、それがわからないのだと思います。
Do It Yourselfの喜び、その根拠を思い出させてくれた本です。

今回、本書を新刊・古書セレクトショップのblackbird booksで注文しました。こちらも独立系のお店です。
一週間ほどわくわく待って届いた商品には、メッセージカードとかわいいカラスのしおりが添えられていました。
心に残る買物ができて、嬉しい限りです。


(2)
以前蕨駅前の画材屋さんでなんとなく買ったパステル、使い方がわからず眠らせたままでしたが、母に正しい使い方を教わり塗ってみました。
目の粗い紙に下絵を描き、薄く塗り付けて、綿棒でこする。すると色の境界がじんわりとぼけてきます。
反対色同士も不思議と調和して見えます。
ほわっとした、柔らかい混色は僕の好みにはまりました。
万年筆で描く雑な落書きの線にも妙に合って、メリハリがつくようにも見えます。

B4くらいの線画に軽く薄く、軽やかな絵を描きためていきたいです。
落書きは楽しい。

2015年11月4日水曜日

日記









(1)
本を返しに図書館へ行きました。今回は他に何も借りず。読書欲が少し落ち着いています。

いつも通り、帰りに森を散策しました。
もう木々は葉を落とし、冬支度が始まっています。アカゲラ、エナガとシジュウカラの混群、マガモの夫婦など観ました。
マガモの食事を初めて観察してみました。
お腹を支点に身体の半分だけを器用に水中に潜らせる動きを繰り返していて、なにかおもちゃがシンクロナイズドスイミングをしているような、おかしみを感じて楽しかったです。
撮影、エナガは動きが速くてどうしても正面や横顔が撮れない、ピントが外れると、難しいですね。
新しいカメラセットは期待通り高感度での撮影が綺麗にできるようになりました。観察に活かしていこうと思います。

2015年11月2日月曜日

日記







(1)
身体も心も鈍っています。

自分の素直な気持ちを、言葉にすることは、かくも大切なことだったかと思い返します。
力がなく努力をしない自分が恥ずかしくて、いつのまにやら「酸っぱいブドウ」のようなことを繰り返してしまったり。
本当にしたいことなの? と疑いながら過ごし、何もしないまま「やっぱり違った」という結論に至ったり。
努力したけれど思いが届かなかった現実に、諦めきれないまま時間を過ごしたり。

最近ぽろっと、何気ない話をしました。
なんでもないことを口にできたのはいつ以来だったでしょうか。何かが外れたような、妙な心地よさを感じました。

今の自分が実現したいこと、一所懸命探して、恐れても話していくのがいいのでしょう。
もう手遅れかも知れないけれど、未だ囲まれている壁はこうしたところにある気がしています。