2015年11月22日日曜日

日記











(1)
図書館へ。
カラ類の混群に出会う。
シジュウカラが枯れたヨシをめりめりとはがしていました。どこを食べているのだろう。
そして今回、はじめてシマエナガをまともに撮影できて喜んでいます。どこかファンタジーな見た目。妖精のようだなあ。可憐だ。
ちなみに川向こうでシマエナガのみの群れになっているのも確認出来ましたが、写真では豆粒状態でした。
野鳥撮影は難しい世界ですね。腕も機材も、一流を目指すなら地道に積み上げていかないとなりません。

市役所近くの川沿いにもヤマガラ、アカゲラの姿が見られました。山から降りてきているのでしょうか。
なにかの間違いででも、うちにも、来てくれたら感激しちゃうんだけど・・・。


(2)
今読んでいる本。
「日常生活の探求 ライフスタイルの社会学(放送大学叢書)」(大久保孝治、左右社)
何年か前に買っていたものを再読しています。ふと手に取ってめくってみたとき、自分の状況によりそってくれそうな予感がしました。

雇用者全体に占める非正規雇用の割合。
1990年では20.0%、2010年には33.6%、そして最近の報道では4割になったとあります。
本書には性別・年齢別の割合も記載されていて、男性25〜34歳は1990年 3.2%、2010年には13.2%と10%も増加しているとのこと。家族を持つ年齢での雇用の安定性が下がったことで、未婚率にも影響が出ていると見られています。
25〜29歳男性では 1990年46.5%、2010年71.8%。女性では、1970年18.1% 、2010年60.3%。
「結婚したくない」という人の比率が劇的に上がった訳ではない。


「頑張る」と「無理をする」こととのあわいが視え辛い。批評をしづらい。
世の中の目を気にしていると、やはり「勝ち組」「負け組」なんていう前時代を引き継いだ解り易い言葉が出てきてしまうこともある。
本書にある通り、「安定した仕事や家庭を持てる人は依然として多数派である」為に余計、頑張っているように見えなくてじれったい。誰かを幸せにするに値する人間でありたいなら、当然今より頑張ってしかるべきだと。
そうした空気が人を攻撃しているのも確か、だけれど歯を食いしばらなければならない場面がやってくるのも確か。
その中で無理をしないでやっていくには、怯まずに、自分の身体と心を中心に選んでいくことではないか。

誰かが言っていたけれど、「自分なりの勝ち」を目指していくことしかないのだと思う。それが前世代の再生産であっても、以前にはなかった価値であっても。
状況に適応していく価値観が生まれていくんだろう。無理をしないために。

個人のものさしというのは時に理不尽に厳しい視線に晒される。
それでも尚、世の中のとげとげしさをやりすごせる、自分の居場所をみつけて、耕していくということのように思います。
そして互いに状況を解り合えた者どうしなら、寄り添って生きていけるのかもしれません。

ひとまず生活出来るようにしっかり、仕事を続けられるようにしたいです。

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