2015年12月17日木曜日

日記




(1)
市内の神社にて、おいなり様とエゾリスくん。
おいなり様の台座にひまわりの種が供えられていて、エゾリスくんはその足元にもぐって食べていました。
おいなり様を作った人間たちから、動物たちへのプレゼントですね。

ここより坂を少し上がったところの松林には、カラ類の姿がたくさん。また、とても小さく、木の上方でホバリングを続ける鳥を見ました。体は緑色っぽい。キクイタダキかなと思いましたが、てっぺんに頂いている菊は確認できず。
カラ類よりもひとまわり小さいし、図鑑によると針葉樹の樹上付近によくいるらしいので、多分キクイタダキということにしておきます。


(2)
そろそろ復活したいとぼんやり夢見る状態です。
また同じマインドセットで動き始めたら、うつになる生活を繰り返すだけなので、慎重を期しているつもりですが、どこかで「思い切り」なり「開き直り」が必要と感じています。
ただ、「開き直り」を「自暴自棄」にすり替えて身を投げることはもうしたくありません。一人で考えなくてはいけない問題とは思うんですが、その判断することに未だ怖さを感じています。
自分は大切なものを棄てようとなんてしない、と言い切れないのです。

高いことは望みません。ただ心穏やかに暮らしたい。
こういう言葉を述べることとは裏腹のプライドを自分に感じることも多いです。
だけど、僕にとって幸せのイメージは、穏やかに生きていることであるのは変わりありません。男性としては少数派のようでもあります。
それを実現するのが怖くて、険しい大人の一面的イメージ(厳しさ、責任感、出世意識など)に重きを置いてしまおうとするのが、癖です。怒りや恐怖の気持ちが増えるのは当たり前でした。
これまでの積み重ねを崩したくないという執着心でしょうか。それも良しと思えて、新たな歩みを始められるといいのですが。

自分のいいところ、どんなときに幸せか。どんなことが負担か。
コミュニケーションやうつ回復の本を読んでいると、「自分を知ること」が何より大切と知らされます。
正直な話、まだはっきり言葉にすることはできません。
現状では簡単な自己紹介にも詰まるほど、僕は自分のことを知りません。
少しでも、確実なプロフィールを見えるようにしたいです。
この自分の柱を作る作業を自力でやり遂げる意識が沸いて来ると、良い段階に登ってきたということなのではないかと思っています。

(そういえば、調子が悪くなってからは、趣味を誰かと一緒にしたこと、とても少なかった。)
(そりゃあ回復せず、新しい友人も恋人もできず、世捨て人になっていくよなあ。)

これから僕自身に素直な人生を設計していけるか。
世間からの大人としての期待にはもう応えられないのかもしれませんが、僕なりに役に立つ方法はあるのだと、あくまで信じていきたいです。
一人の人が元気であることは、必ず誰かを喜ばせるものと思います。


(3)
明日こそは、この間の記録を書こう。
前後篇になるかも。

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