2015年7月21日火曜日

未病記2

「ツレがうつになりまして。」のDVDを借りている。
これまで4回観なおした。 今週末には返却する。

書籍もよかったのだけど、映画はより、すばらしかった。
堺正人と宮崎あおいどちらもばつぐん、演出も良かったと思う。骨董品店で出会う硝子瓶の話が心にしみた。
この作品が大切に思える理由、それは なにより、うつになったツレへの無条件の愛を、生身の人間が表現しているからだ。
現実に望んでもそうはいかなかったりするだけに、すっかり入り込んで幸せを感じてしまったりする。
さらに、なんと、何度でも繰り返し再生して目にすることが出来る。映画のDVDってすばらしい。

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うつや不安障害の当事者は、ありのままの自分が世の中に受入れられないと感じ、自己肯定感が極度に低い状態になっている。ちょっと触れば割れる。
だから「社会に帰ること」は即ち「自分を180度変えて他の立派な人たちのようになる為に頑張る」ことだと自動的に思ってしまう。もう二度と壊れないように、この壊れている自分を壊しなおして生まれかわることを想像する。
息するだけでもものすごい緊張感です。
そんな感じで5年くらい生きてきた気がする。

自分を変えなければ社会で生きていけない。
それは他人の叱責を受けて改善することだったのか。罰を受けないようにおそるおそる生きるに至らしめることなのか。
それとも、のびのび生きる為の方法を自分で探すことなのか。

会社の研修で「嫌われる勇気」を読まされたことを思い出す。
アルフレッド・アドラー心理学の概説書だけれども、アドラー心理学は自己啓発の源流と言われるだけあり、究極の自己責任論だった。
トラウマ(原因論)を否定し、目的論(何するための事象が起こっている)を打ち立てる。
「あなた自身が」目的を変えて行動を変えれば、傷ついた心や屈折した劣等感を克服できるとのこと。
まごうことなき正論だけど、ひとりでそれが出来れば苦労してないよ。
そして、自ら進んで読むならともかく、ストレッサーになりえる会社が読ませるのって、これ以上ない責任放棄の表明だよなと思い、絶望的な気分になった。

プライドが高い、完璧主義、など、直されるのが望ましいとされる悪い部分がたくさんある性格、だけど誰も望んでなったわけではないでしょう。
強くない人間は、社会には居られないのでしょうか。
長いこと不完全なままではいけないんでしょうか。
それを知っているだれかが隣にいてくれることを、望んでしまってはいけないのでしょうか。

僕は昔幸せだったことがある。恵まれていた。
ただ、その温かさを思い出したい。
今の僕だったら ただそこにいることを守りたいし、守って欲しい。
状況があってはじめて、人は変わっていくのだと思う。
無知だったし不運もあった。
そろそろ幸運がやってきてくれまいか。
自分が素直になってくれまいか。

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今社会に戻っても何も良い事はないって思う程、世の中から離れてしまったと思う。
ただ一緒に話をしたいだけなのに、何かそれも許してもらえなさそうな気がして怖い。
実現可能な目標を持てない。
今はそんな感じだ。

ある意味、この試練が手遅れになる前に来てくれたことがありがたい。
時間は迫っているけど まだまだかけないと怖かったりもする。

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